
サンモール一番町に、庶民的な横丁、壱弐参(いろは)横丁があります。
南北ふたつの横丁が、アーケードから東二番丁小学校裏まで続いています。

一番町アーケード側の出入口は綺麗に装飾されていて、
日本的で古風な雰囲気を醸し出しています。
横丁の中は、擦れ違うのがやっとの細い道がずっと続いています。
両側には食堂や飲み屋などの飲食関係のお店が多く並んでいて、
会社の昼食時や仕事帰りなど、多くのサラリーマンで賑わっています。
途中には、南北ふたつの横丁を結ぶ脇道がいくつもあります。
入り組んでいる場所もあり、袋小路になっていたりもします。
いたるところに昭和的な街並みの面影を残していて、
そんな懐かしさに惹かれて訪れる人も多いようです。
中心部でありながら、テナント料が比較的安めということもあり、
最近は若い人たちが新しくお店を始めることも多く、個性的な店が増えています。
そんな壱弐参横丁に、これまで何度も再開発計画が出ては消えていきました。
地権者の数が多いことや、権利関係の複雑さが計画推進を難しくしているようです。
この横丁、元々は中央市場といい、戦後、焼け野原で露天商をしていた人たちが
集まって出来た市場が始まりです。
建物も、その当時建てられたものが多く、老朽化が激しくなっています。
耐震性や防災面で不安があるため、早期の建て替えが望まれていますが、
なかなか意見がまとまらず、今日まで手付かずの状態です。
数年前、市場に隣接するビルを東京建物が買収し、新しいビルの建設を計画しました。
そこで仙台市が壱弐参横丁との一体開発を打ち出し、調整に乗り出しました。
仙台市としては、市場の建物の耐震性が低くて危険だということと同時に、
建設中の地下鉄東西線、一番町駅前のシンボルにしたいという思いもありました。
東京建物も同意し、計画を一時中断して市の調整を待つことにしました。
そのため、アーケードに面した好立地でありながら駐車場のままになっています。
画面左に並んでいるのが、壱弐参横丁の建物の裏側です。
市長自ら会合に出席して説得するなどした結果、再開発案が賛成多数で可決されました。
しかし、その後の調査で、亡くなった組合員の遺族が正式な手続きなしに
組合員として投票していたことが判明、投票結果そのものが無効とされてしまいました。
そして、調整の難しさを実感した仙台市が調整を諦め、計画が白紙に戻ってしまいました。
東京建物が市場を除いた土地に独自でビルを建てるのか、
ふたたび市場との一体開発案を出すのか、現時点では不明です。
折りしも中国では四川大地震が発生、多数の犠牲者が出る大惨事になりました。
仙台でも地震への備えが叫ばれている昨今、建物の耐震性に関心が高まっています。
市場内には、外部の道路に面していない建物もあり、補強工事が難しいものもあるそうです。
横丁の一画には、古い井戸と思われるものも残っていました。
戦後間もない頃の面影を残している一面もあり、昭和レトロブーム的には
残しておきたい風景ではありますが、やはり安全を第一に考えて欲しいものです。
アーケードの反対側の入り口です。
こちらはアーケード側とは違い、ほぼ昔のままの状態になっています。
再開発計画は、関係者全員が納得できるものになればいいのですが、
なかなか難しいようです。この先、壱弐参(いろは)横丁は、どうなっていくのでしょうか。
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